議員となったきっかけ
2006年10月、前岐阜県議会議員不破照子さん(通算4期20年)の後継者として、連合岐阜からご推挙いただきました。そのお申し出があったのは、次女を出産後1ヶ月のことでした。長女は3歳。それでも私は、「やってみたい!」と思いました。
好奇心と行動力
子どものころから好奇心旺盛で、なぜ?何?どうして?から、やってみたい!とすぐ行動に移すところは長所かもしれません。
「1億2千万分の1から6000万分の1へ」
「私ひとりがこう思っても、世の中は変わらない。」と、嘆いた私に返してくれた上司の言葉です。言い続けることと、自ら行動することの重要性と、大きな変化は小さな変化の積み重ねであることを学びました。私が出馬の決意をするのに、この言葉が背中を押してくれました。
「岐阜の蝶になりたい!」
2002年8月、自分が議員になるとは夢にも思わなかったときに、当時三重県知事北川正恭さんの講演で、「北京の蝶」の話を聞きました。
北京で飛び立った蝶が、ニューヨークでハリケーンを巻き起こす。という話です。その時に「岐阜の蝶になりたい!」と思ったことも、私の背中を押してくれました。
2020年、議員活動14年目、51歳。
初当選は37歳。岐阜県議会で初めての子育て現役世代のママさん議員でした。一時的には岐阜県議会の中で、女性議員が私ひとりという時期もありました。平成31年4月、1878年設置の岐阜県議会(岐阜県会)において、女性で初めて4期連続当選をすることができました。
課題発見のアンテナ
高く広く感度良く課題をキャッチできるアンテナをさらに進化させます。
- 46分の1
- 年齢、性別、経験や経歴
- 所属政党と支援団体
- 女性の視点、母親の視点、子育てしながら働く人の視点
- 地域の声
「声をカタチにする政治」
「声が循環する政治」
地域のみなさんの声を、政策や制度にする。地域のみなさんの声を岐阜県に届け、その答えをしっかりと戻す。あるいは、岐阜県の取り組みをひとりでも多くの方に発信し、ご意見や感想を戻します。
愛&優
娘たちの名前です。
誰からも愛されるように、誰もを愛することができるようにと「愛」
優しさのある子に育ってほしいと「優」。
何よりも「心」のある子に育ってほしいと願いを込めて、1文字の中に「心」のある漢字を選びました。
愛と優は私の宝物。愛と優しさは、私が大切にしていることです。
学歴
昭和57年3月 | 大垣市立南小学校 卒業 |
昭和60年3月 | 大垣市立南中学校 卒業 |
昭和60年4月 | 岐阜県立大垣北高等学校入学 |
昭和63年3月 | 岐阜県立大垣北高等学校卒業 |
昭和63年4月 | 東海女子大学(現:東海学院大学) 文学部英米文化学科入学 |
(平成元年9月~平成2年3月 英語奨学生 英国留学) | |
平成4年3月 | 東海女子大学 文学部英米文化学科卒業 |
職歴
平成4年4月 | 株式会社サンゲツ 入社 大阪店 中大阪営業所 営業開発課 配属 |
平成10年5月 | 株式会社サンゲツ 退職 |
平成11年5月 | 民主党岐阜県第2区総支部 勤務 |
平成16年8月 | 民主党岐阜県第2区総支部 退職 |
平成17年11月 | 大垣市立東中学校(常勤講師) 勤務 |
平成18年3月 | 大垣市立東中学校(常勤講師) 退職 |
平成19年4月 | 岐阜県議会議員選挙(大垣市・神戸町選挙区) 初当選(14.525票) |
平成23年4月 | 岐阜県議会議員選挙(大垣市・神戸町選挙区) 2回目当選(11,602票) |
平成27年4月 | 岐阜県議会議員選挙(大垣市・神戸町選挙区) 3回目当選(10,678票) |
平成31年4月 | 岐阜県議会議員選挙(大垣市・神戸町選挙区) 4回目当選(11640票) |
役歴
・国民民主党岐阜県連幹事長 ・上石津グリーンライダーズクラブ顧問 |
家族構成
夫・長女・次女 |